総合科目心を考える2-2
知覚・認知(視覚)の講義。
「わかる」に到達する前に終了のチャイムが...
きっと「わからない」まま,終わってしまった
(...ありがちな展開ですね)。
知覚・認知を導入として始めにもってくると良い点は,
ブラックボックスの入り口だから,というのはもちろんですが,
脳の
(1)[段階的・階層的処理]というしくみと,
(2)[カテゴリカルな・分業的処理]というしくみ,を教えやすいからです。
そんなわけで,
(1)は,感覚→知覚→認知とか,
V1からスタートして超複雑な視覚関連領域の階層図に至るまでのプロセス,
あるいは失認における統覚型・連合型(さらには意味記憶障害や視覚性失語まで) 。
(2)は,感覚レベルでは視覚・聴覚・体性感覚などのモダリティごと,
(視覚の)知覚レベルでは形・位置・色・動きなど,
認知レベルでは,物品・顔・建物や風景・文字など。
いかんせん尻切れトンボでした。次回は,続きをもう少しする必要があるな。
***
出席票は199枚提出され,コメントの記されたものは29枚でした。いくつかピックアップして答えましょう。
>鍵の絵を見てふくろうと答えた患者は,ふくろうの絵を見てなんと言ったのか知りたい
#残念ながらその報告に,そのような検査をしたという記載がないのでわからない」(でも興味深いですね)
>方向音痴(や人の顔をなかなか覚えられないこと)も失認症のひとつなのかと思った。
#全くできないというならそうといってよい。
「苦手」という意味なら,これらにはもともと「個人差」があるわけで,
その「個人差」は脳の活動量?パターン?の違いを反映している可能性がある。
ちなみに,道を覚えることが仕事の(ロンドンの)タクシードライバーは,
そのために使用する脳の体積が大きい,というデータがかつて示されています。
>失認のような認知障害は治療できますか?
#病気やけがの前のレベルに,そして以前とまったくかわりなくこれらが「回復する」のは難しい。
薬物や外科的治療で「治る」ことはほとんどない。ではどうしたら良いか?
最近では認知リハビリテーションと呼ばれる治療法が開発されるようになってきました。
直接障害を「治療する」ことのみでなく,失われていない機能を援用して障害を代償させる,
補助具を用いたり(たとえば記憶障害があるなら,手帳や携帯電話などを有効に使う)などが行われています。
>動きの知覚の障害の人は実在するか?どうやって生活しているのか?
#いますよ。Cerebral akinetopsia とかvisual motion blindnessとか呼ばれて報告されています。
ここなど参照(英語です)。
>情報学類の「視覚情報処理」でやってしまっていたので,寝てしまいました。
#たしかに,そういうときは寝ていてよいと思います。
でも情報学類の授業では,「失認」は扱われないだろうと,思いますがいかがですか。
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