共感するならカネをくれ
...と言わない,言えないのはどういう理由か。
同情するなら・・・,だったらOKなのに。
いつもはここに書かない2限のコマにて。
empathyそのものを訓練できるのか。
empathyをどうツールとして使うのか,を訓練できるのか。
単なるメモ。
ちょっとした対立点。
共感とはあくまでも「感じる」ことであり,
「わかる」ことではない。
共感性を高める(感度を上げる),ということはありうるが,
共感力をつける,というのはおかしい。
共感は,感情移入できたりする感受性であって能力ではないのだから,
なんらかの定まった訓練でそれが鍛えられる,なんてことは信じられない。
*
そんなわけで,
「共感的理解」というコトバ自体に矛盾を感じるのです。
「その筋」ではよくお題目のように唱えられるわけですが。
共感したようなふりをしながら頭で理解する,ということか。
そんなのちっとも共感じゃない。
*
対立を「演ずる」ことは,久しぶりに面白かったです。
もっと喋りなさい,同席の人々よ。
「 04. NOTES-as-LECTURER 【講】」カテゴリの記事
- 心理学II(パーソナリティ)12-0(2012.07.25)
- フレセミ12_10(2012.06.21)
- フレセミ12_09(2012.06.14)
- フレセミ12_08(2012.06.07)
- 12特論XII/特講III-7(2012.06.01)
L'utilisation des commentaires est désactivée pour cette note.
Commentaires