同世代で異次元的なふたり
『東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム』という本を読む。
著者のおふたり,東浩紀氏と北田暁大氏は1971年生まれだそうだから,
1972年早生まれの私とは,ドンピシャで同世代。
「いっこうえ」でも「いっこした」でもないおふたりであることと
(まあ,大学・大学院でも接点なんぞはまったくなかったが少なくとも数年間は
「同じ空気を吸っていた」ことになる;特に東氏は同じ「研究科」課程博修了者ですから),
渋谷,青葉台!!★,下北沢などなど縁もゆかりもある地名が
ザクザクと出てくるものですから,
ついつい購入。
しかしこの人たちの,この編集されまくった(という)「対談」,
あれこれの問題について論じられているのだが。
この,私の読後の"面白くなさ感"はなんなのでしょう。
第1に。
タイトルの東京「から」,ってのはそういう意味か?
まえがきには「東京の光景を素材としながら...いろいろと思いついたことを語っている」
とあるが,うーん。
東京郊外生まれ/育ちの,
東京の☆大学に通学した私たち(著者たち)「から」見た
(その部分はけっこう大きくこの本の中身に影響しているんじゃない),
という風に読めるんだけどな。生い立ちの東京っぽさと光景としての東京っぽさが
混交しているように思える(それは,しかたのないことだろうけど)。
それで,簡単に言えば,そのあたりがなんだか「しらける」。
☆「の」は要らないのに入れてしまうのは,
当該大学出身者の,(もしかしたら)世代的な,特徴かもしれない。
第2に。
これは現代思想系の人文書であるという。
今はこういう「社会のあれこれを論じる」のが「現代思想」の範疇,
というよりメインなあり方らしいんだけど,
私の底浅い,それこそ大学時代に表層的に教養的に読んでいた現代思想っぽいのとは
まぁったく違うんだな(このあたりは,最近読んだこちらの読後感と共通)。
もうちょっと昔の現代思想は(なんか「昔」で「現代」とは字面的矛盾だけど),
哲学っぽさ,というか,モノの考え方にまつわるあれこれが多かったように思うんだけど。
第V章の「わからなさ」も,そういう,私の「知識のなさ」&「社会っぽいことへの弱さ」に
由来するものなのか。
第3に。
なんかふたりの思考的(思想的?)対立点・"見解の相違"が
わりとはっきりしてそれでおしまい,というシメなんだが,
「それで終わっていいの?」
「また一緒に仕事をしたいね,みたいな終わり方でいいの?」
という不思議感。
本にして売っていいの?(いやあ自分は買っちゃった組ですからなんともいえない)
というか,売れるんですかこの本,全国的に?
*
けっこう対談ものは好きなのだけれど,今回のはそんなこんなで微妙。
あれこれのわからなさ=異次元的。
*
最近NHKブックスばっかり買っている気がする。
そしてたしかに気になるのが多い。
★青葉台,謎でしょう。
大学1・2年の頃はよく往来していたのでした(楽しい時期だったな)。
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