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29 oct. 2007

高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院

高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院
という新書が出ているそうで,とーーっても気になっているのですが(かなり刺激的なタイトルでしょ),

この辺の書店のいくつかを見ても,ぜんぜん売ってないんだよな~
(地域特性的に,「飛ぶように売れている」,ということなのか?)

出たばかりの新書のようですが,
本日現在Amazonでは発送時期が「3~5週間以内」になっているというのも,気になるなあ。

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07. INTERESTING 【興】」カテゴリの記事

Commentaires

某ガーデンの書店で売っておりました。
現在読んでおりますが、非常に"刺激的"です…

『100人の博士村』にはまだユーモアが
残っていたのですが、新書だと何故か追い詰められる気分なのが不思議ですね。

http://www.geocities.jp/dondokodon41412002/index.html

Rédigé par: @ | le 30 oct. 2007 à 23:15

あらほんと?ラララ~(ひとつ多いか),
私が行ったときはなかったです,はい。
でもって,まだ中は読めていません。

私自身もかつてそういう可能性が濃厚であった「期間」があって,
そのときは本当に,これからどうやって生きていけるんじゃろうかと考えました。

Amazonの方は「4日以内」になってますね。増刷完了ってことか。

Rédigé par: | le 31 oct. 2007 à 15:24

セルフコメント。
読了。2刷だった。しかしコメントしづらい。

現在のところ,やり玉に挙げられている側の立場にいるから。しかし「研究大学」と称されている大学に属する教員としては,目の前にいる何人もの院生たちの今後がどうなるかという視点から,あれこれ共感的に考えざるを得ない。

仮に私が現在の職を辞してポストがひとつ空いたとしても,それを埋めるのは「誰かひとり」であるから,構造的にこの問題が解決することにはならない。大学が収入減で財政的に苦しかったりすると,専任ポストを減じる方向で考えるだろうから,「誰かひとり」を補充しない,というオプションもありうる。下手をすると,勤務先がそのまま消滅することだってありうる。
どこを見ても,大学での教員の「増員」の可能性はきわめて低い。

それから,大学「教員」として講義などを受け持っている時間は,そのまま「研究者」として研究する時間を奪われていると考えることもできる。入学者を確保するためのさまざまな試みに参画することを求められ,入学されたみなさんの学習生活・学生生活をサポートするよう命ぜられたり,進路未定者を出さないように活動することを求められたりすることもある。暗に,研究をするな,というプレッシャーがかかるところもあると聞く。そういうことがらの比率がきわめて高いところもある。研究者として「研究する」,という点からみて,大学教員がベストであるとはいえないかもしれない。そもそも博士の講義が良い講義,とも限らないし。

必然的に外を見ることになるが,こちらの風当たりも強いのはある意味当然ではないか。そもそも,大学院に入院するとは,「就職じゃないほう」の選択肢でしょ,学部生にとっては。そういう入院しなかった人々が多数を占める企業社会であるわけだから,まだ(今後もずっと?)そうそう暖かく院修了者を迎え入れる土壌にはならない気がする。
「もっと使える大学院生を」という企業社会側からの昨今の要求は,(分野によるのだけれど)ハナから実現可能性の低い(そしておそらくあまりその気もない),お題目ではないか。

 *

最近は,大学院の目的というのが明記されるようになっているが,たいてい研究者養成か高度専門職業人養成を謳っている。
どちらの目的も,職に「就ける」ことをちっとも保証していない。
研究者として一人前になることは,研究者を生業として「食っていける」ことと同義ではないし,
高度職業専門人を養成するとは,高度職業専門人として「常勤職に就き」「その職で働いていける」ことを保証していない。
(私は,この後者の目的はあたかも職業に結びついているように見せかける点で,より罪深いと常々思っている;もちろん「専門職大学院」というのも)

こんな現状のままでよいとは思わないし,なんとかならないかと願うけれども。
しかし,かといって大学院(とか学位とか)と就職をダイレクトに結びつけて考えることには,
かなりな違和感を覚えざるを得ない。

大学院に進学することは,決して輝かしい将来を「保証」するものではないのです,いや,輝かしいどころか,ふつうに「生きていける」ことも保証してはいなくて,その点は昔から変わらないと思います。

Rédigé par: m0ch1 | le 04 nov. 2007 à 09:18

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