ためらいとかためらうこと
「ためらいがないわけではないのですが」と言う場面に遭遇する。
ためらっているばかりでは何も変わらない。
押しとどめておきたいいくつかの気持ちのベクトルと,
押しとどめておきたくないいくつかの気持ち
(and/or 押しとどめておくことのできないいくつかの気持ち)のベクトルとがある。
誰かそういう,思考や感情をあれこれベクトル合成した結果としての
ちょっとメタな「ためらい」のようなもの,
学術的に心理学研究してくれないかな;相変わらず他力本願だけど。
あるいは,もうあるのか。
何かテクニカルタームがあるんだろうか。
ためらう,というと,
行動をなかなか始められなかったり,結果として行動しなかったり,
いったん始めた行動を中断したりする,
躊躇するみたいな意味合いがあるけれど,
それだけじゃなく,
ためらいながらも行動したり,
行動した後で実はためらいがあったのだと振り返って言えたりするので,
必ずしも行動を妨害するとは言い切れない。
...といったようなことをつらつら考えていたりする。
で,現実世界でそういうためらいが生じたときに,
そのためらいを自分で意味づけしたり,
ましてや人にうまく伝えるのはたいへん難しい。
ためらいは,
思考も感情も行動ももやもやっとしていて,すっきりしない。
*
でも,そんなためらいがまったくないよりは,
いくらかはあるほうがいい気がする。
気遣い,みたいな意味で。
*
こういうのを恥ずかしげもなく(実際には恥ずかしいと思いながらも)
書いてアップしてしまったりすることを,
「ためらいながらも」という。
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