ペルコンターリー/リトート/オキュパティオする
こちらの本を読んだので,記録。
○ラテン語で「問うこと」を意味する動詞に,interrogare(インテルロガーレ)と
percontari(ペルコンターリー)の二つがあることを指摘しています。この二つは
区別なく用いられることもありますが,本来は,前者が単なる情報の要求を意味する
のに対し,後者は何事かを論証しようとする意図を含んでいるのだそうです。つまり,
これが,議論の手段,論法として機能する問いということになります。...(p. 19)
○《question》に対応するものとして《answer》意外に,《retort》(言い返し)という用語を
立てています。例えば,「はい」か「いいえ」を要求する問いに対して「はい」か「いいえ」
で答えるのが《answer》であるならば,《retort》はそのような問いの妥当性を,あるいは
それを問うという行為の是非を問題とします。...(p.31)
○「弁護士が証人に反対尋問するときには,その答えがあらかじめわかっている場合か,
あるいはその答えがどうでもいい場合のほかは質問してはならない」(p.81)
○「君を自己矛盾に導きそうな質問に対しては,間髪を入れずに答え,相手が質問の
二の矢をついだり,自分の結論を出したりする前に,これを解明させるような答え方を
しなければならない。なぜなら,相手の論の意図がどこにあるかは,予め見てとること
は難しくないのだから」(p.83)
○「不当予断の問い」(loaded question)(p.94)
○「ディレンマの角の間を抜ける」(go between the horns of the dilemma)(p.113)
○《tu quoque》とは,直訳すれば,「おまえも同じではないか(You too!)」くらいの
意味です。つまり,相手からこちら側のある行為について批判されたときに,それと
同じ,あるいは類似した行為を相手もまた犯していることを指摘することによって,
相手の批判を封じ込めてしまうような論法を意味します。(p.150)
○ある内容を省略したり曖昧にしたりするふりをして,かえってそのことを強調しよう
とする技巧を,レトリックでは《occupatio》(あるいはparalipsis)と言います。
*
公的な場で質疑応答をするときは論争なのですから,
そういうのを含めたあれこれの「論法」を知っておく(できれば使っておく)ことは
意味があろう。
発表会とか審査会とかで。
ペルコンターリーするから単にインテルロガーレ風に応えないでほしいな。
たまには,アンサーしないでリトートしてほしいな。
思いつきで言っていることも多々あるのだから。
*
なお,ふだんの生活では,私,
オキュパティオ/パラリプシスまぶしてるかもねぇ。
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Commentaires
幸か不幸か,これまで徹底的に論破(言い負か)されたこともなく,
かといって
相手が立ち上がれなくなるほどに論破(言い負か)したことも,これまたなく。
だが。いざというときのために,
論法という武器は磨いておいたほうがよいでしょう
(江戸時代の侍のような心持ちで)。
正攻法だけでは立ちゆかなくなるときは,きっとある。
ところで。
なめらかに弁の立つ人に,なりたいなぁ。
Rédigé par: m0ch1 | 30 mai 2010 18:15