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29 sept. 2011

登場人物の多い話のときには

描いたほうがいい。
というよりも,すべきだ。

俗に「人物相関図」と呼ばれるものだ。
正直,話を聞いてるだけでは追いつかない。
描いてみれば,理解しやすくなる。
ついでにそれをお相手にも見せて,間違っていないか確認してもらうこともできる。
ノリノリで追加の説明をしてくれることもある(←実際そうだった)。
さらにそれを見せることで「相対化/客観視してもらう」ことの良い効果もあるかもしれない。

悪いことはひとつもないと思うんだが…

なぜ「ここ」でも描かれないのか,疑問でさえある。


 *


「指をさされたり該当すると言われたような感じだった」件ですが。

私はその「先日の最中」にはそういう感じはしていなかった
(理知的に,「頭で」あれこれしているそぶりはないように思われた)。
時期的に発現しやすいことはむろん承知していることである。
語られるエピソード的に「そのように読めなくはない」ところがあることも承知している。
けどね。

で。

「指をさされたり該当すると言われたような感じだった」件についての見解。

別にそれでもいっこうにかまわないとさえ思っている。
そうであるとしたら,
それでもやっていけている人たちがいるという先例があるわけだし,
そのように,それでもやっていける人たちのようになるにはどうしたら?と考えればいいわけだし。


くくりが大きすぎるという御大の見解には同意(以前私も同じことを言ったことがある)。

「パーソナリティ」だと考えればパーソナリティだ。
それらの組み合わせが,「そのように」見える確率を上げるだけであって,
それらのみでは「それらしさ」の印象が大きくなるだけ。
「それ」と言えるわけではない。

※「それ」が多くてわかりにくいでしょう。


 *


今週も「針のむしろ」側だったけど
来週もまた「針のむしろ」側だなあ。

いつになっても,
「たしかにねえ~それを聞いといたらよかったなあ~」と思うコメントは
ひとつくらいはある。
パーフェクトなんてほど遠い… というよりも,そんなの目指さない。
ひとつくらい明らかにならないことは,常に残しておくべきだとも思うし。


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